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藹

Author:藹
 
太古の時代、グリーンランド沖で海底に沈み、4000年を超える悠久の地球の旅を続けるという「海洋大循環」に由来する海洋深層水は、「神秘の水」と言われる超海洋深層水です。

ミネラルバランスが良く、理想的な飲料水として世界から注目され始めています。

妊娠・出産・子育てにお勧めの、素晴らしいお水であるとお勧めできます。

この母なる海からの贈り物、海洋深層水に色々な情報並びに、健康や美容について提供したいなぁと思っています。

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こどもの活力 後編
母親との十分なスキンシップやコミュニケーションが為されないと、母子一体感の欠如を引き起こすことが指摘されています。
その欠如は、人を信頼することが難しくさせている要因だといわれています。

生涯の人間関係の基礎となる部分が欠如することで、「活力」を失っているこどもが増えているんじゃないか?という危機感を抱いてしまいます。

活力を失い、心の深い部分で他者と触れあるという人間関係の形成が困難になっているのかも…、と。

活力がなくなると、興味をもつ事がし辛いものです。
強い興味、強い関心を抱くことによって、学習意欲を刺激し、それが脳の発達そして、それは精神的発達に繋がる訳です。
そんな精神的発達は、また人間関係の形成過程でも当然育まれるものなのですが、集団の中で暮らし遊ぶことにより、幼いこどもにある「幼児的万能感」を崩壊させ、等身大の自分の把握、つまりは自己認識が初めてできるようになります。

幼児的万能感」とは、自信過剰かつ自己中心的な感覚で、所謂「わがまま」に繋がる感性・感覚といっても良いでしょう。
その万能感は、様々な人間と関わり、幾度も幾度も繰り返し打ちのめされなければ、破壊できないと言われます。

兄弟がいれば、まだ自分の思い通りにならないことが小さなうちから経験・体験できますが、一人っ子となると、能動的に人との関わりあいを持たせなければ、なかなか難しいといっても良いのではないでしょうか。

我が家もこどもは息子が一人ですので、色々と考えることがありますが、保育園に通わせることで、同じ年代のお友達から、お兄ちゃんお姉ちゃんとの関わりができ、色々な刺激を受けられていますね。

大人でも難しいようなことをやりたがって、それができないと悔しくって怒って不機嫌になるこどもがいます(我が息子はこの部類)。
自分では可能なイメージがあるのですが、実際は無理または困難であることに気がつかない。
でもそれを繰り返していくことによって、自分ができるレヴェルや範囲を理解していく訳です。
また、そのチャレンジが糧になっているんですよね。

何らかの行為をしようという欲求とその行為を実践していくという繰り返しをすることで、自己認識をしていくのです。
「己を知る」ということですね。

しかし、その欲求が無ければ…。
考えると少し怖くなりますね。

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2007.09.30(Sun)  妊娠 出産 育児COMMENT(0)TRACKBACK(0)TOP
こどもの活力 前編
こける時に、手をつけずに頭を地面に打ち付けるこどもが増えてきていることは、昨日にご紹介しました。
専門家の中では、カラダを動かして遊ぶ「動的遊び」からカラダを動かさない「静的遊び」が増えたことにより、前頭葉の発達が低下または遅れていることを指摘する方も少なくありません。

私たちホモ・サピエンスであるヒトは、大脳新皮質の発達によって、ヒト足りうるものとして存在できています。
「人間らしさ」とは、大脳新皮質の発達無しには考えられなかったのです。

そして、大脳新皮質を発達させたことで、ヒトは様々な厳しい環境に対応・調整をしてきました。
その対応や調整が、優秀で有利な神経回路を連綿と伝達させることを可能とし、複雑な社会システムを構築し、高度な生活を営むことができた訳です。

たとえば、大脳辺縁系で呼び起こされる欲求や情動を、大脳新皮質が制御しています。
平たく言えば、欲望をコントロールしている訳ですね。
確かに、ヒトであるからこそできることなんでしょうね。
(悪事を働くこと/働けることも、これまたヒトであるからなんですが。)

その大脳新皮質は、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉に分けられ、前頭葉は、前頭前野(前頭連合野)、運動野、運動前野の3つに分けられます。

運動野や運動前野は、文字通り身体を動かすために重要な働きを担う部位です。
前頭前野は、規範意識や道徳心、そして本能と言っても良い情動・感情の制御を司る部位です。

つまり、前頭葉の発達は、ヒトとして、ヒトたるヒトになるために重要な必要条件なのです。

そんな前頭葉の発達が低下していると聞けば、聞き流す訳にはいきません。

前頭葉の未発達は、活力を生まないという話を聞きます。
こどもとは生き生きした存在であったはずなのに、保育園や幼稚園では、何故だが無表情なこどもたちが少なくないことに気がつきます。

スーパー等で買い物をしていると、ベビーカーに乗った赤ちゃんをよく見かけますが、無表情な赤ちゃんをよく見ます。
家の外である、ということで緊張しているのかもしれませんが、表情のある赤ちゃんとの違いは歴然としています。

特に一歳前後の赤ちゃんは、外からの刺激を人生のなかで一番多く受け取り、ニューロン(脳細胞)とニューロンを繋ぐシナプスへの影響はこの時期が絶大だという研究報告があります。
シナプスが増えれば増えるほど、ニューロン同士のネットワークを活性化することとなり、脳の発達に直結するものです。

そんな時期に、全く外からの刺激を受けないと、脳は活性化せず、脳の発達が遅れることとなり、人生で一番刺激を受けるべき時に受けなかったことで、「後の祭り」ということにもなりうるものだと指摘されています。

生まれてからの1年は、外からの刺激といえば母親とのスキンシップのみといっても良いでしょう。
赤ちゃんは、特に生まれて2ヶ月までは、寝て暮らしています。
ほとんどを寝ています。
スキンシップといえば、母乳をやっている時や、沐浴をしている時、そしてオシメを換えている時ぐらいで、他はほとんど寝ています。
その大事な貴重なスキンシップのオシメ換えに、母親の多くは無表情で行っていると保健婦の方が仰っていました。

赤ちゃんに微笑みながら声をかけるお母さんが少ないのです。
この話を聞いたときは、私は大変なショックを受けました。
私の妻は、常に息子に声を掛けていましたから、不思議で仕方がありませんでした。
(おなかの中にいた頃から、話をしていましたものね。その話し掛けに、息子はガンガンとおなかを蹴って応えてくれたものです。)

この情況は、様々な理由があることでしょう。育児は大変ですからね。
いつもニコニコしてもいられない、というのも解ります。

しかし、人は人間同士の豊かな交流によって、人間形成をしていきます。
母親や父親との十分な交流なくして、他者との交流はなしえないといっても過言ではないと思います。
母親と話す事が、脳の活性を引き出すことが判っています。単に人と話すだけでなく、母親と話すことですよ!
父親とのお話は、報告に無かったので判りませんが、父親とのお話も有意であることを期待します。(^.^)

   ―― to be continued.

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2007.09.29(Sat)  妊娠 出産 育児COMMENT(1)TRACKBACK(0)TOP
手がつけないこどもたち ~こけ方も知らんこどもたち
こどもたちの身体に起こっていることって、一般的にどれほど認識され、どれほど深刻に受け止められているのでしょうか?
知らなければ、深刻にもなれませんよね。

深刻に思っているのは、何も私だけではありません。
幼稚園や保育園の先生たちも、それを指摘されていますし、様々なメディアでも指摘されていますね。

外で遊ぶことが少なくなったこどもたち。動く遊びが減ったこどもたち。
そんなことが原因なのか、本能的な運動能力、特に回避する/自己防衛する本能が低下しているのではないかと、指摘する専門家もいます。
体育の先生も、同じ様なことを仰っていました。
ありえない転び方、こけ方をする子が多いと。まるで赤ちゃんだと。
手をつけずに、頭から落ちたりこけたりするんだそうです。頭を守ろうとする本能が働いていないのか、働いても運動能力が無いため、それができないのか。

大切な本能が低下しているのではないかと思ってしまう出来事はたくさん聞きますが、まずは本能の後にくる運動能力の問題があることは、何となく分かるような気がします。
私たちは、身体を動かすことによって、生きている訳ですから、動けないと、なかなか上手い具合に生き抜くことは困難です。心臓が心拍を打っているのも運動ですからね。
なんでも理想的な動きができないと、しんどいですよね。

兎にも角にも、今のこどもたちの体力が、私たちが想像している以上に低下しているのです。
総合的な体力ではなく、一部の部分で。
私の個人的な感想は、総合的にも体力は落ちていると思うのですが…。

その一つに、握力や背筋力の低下が顕著です。(持久力も落ちてるなぁ。)
例えば、旧スポーツテストでのデータですが、当時の文部省(現文部科学省)の2000年の『体力・運動能力調査報告書』では、2000年の小学生6年の男子が、1965年の小学生6年の女子よりも、背筋力指数(背筋力/体重)が低くなっています。
背筋力指数と言えば、2.0の数値を下回れば、大人の介護に支障をきたし、1.5を下回れば子育てに支障をきたすと考えられています。

背筋力の低下で、背骨が湾曲しているこどもも増えているようで、そのために成人してから内臓圧迫を引き起こしてしまう危険があります。

私たちの身体を支えるために重要な背筋が低いこともあるのでしょうか、最近は筋力のバランスが悪く、さらには柔軟性が低いことで、運動能力自体が低下し、些細なことで怪我をしてしまうことが言われています。

身体のバランスは、背骨で決まると言っても良いでしょう。
その背骨をまっすぐに保ってくれるのが背腹筋です。
内臓の位置を保つのは腹筋です。腹筋が足りないと、内臓が下に落ちちゃいます。下腹が…。(ノ_<。)うっうっうっ
背筋腹筋のバランスも大切です。

そうです、とにかく身体はバランスが大事。

何でも、バランスです!

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2007.09.28(Fri)  妊娠 出産 育児COMMENT(0)TRACKBACK(0)TOP
負け組は、小学生から
小学生から「負け組」 勉強の目的見えぬ子供たち【毎日新聞】

「金持ちになるために勉強が役立つ」と考えている子供の割合は、他の都市が6割を超えたのに対し、東京は43%。「一流の会社に入るために(役立つか)」など、経済的な豊かさや社会地位と関連づけた質問のほか、「尊敬される人になるために」「心にゆとりがある幸せな生活をするために」といった質問でも、最下位だった。
学校での勉強は、大人になるための、大切な準備運動であることを子供たちに伝えたいものです。

金持ちになるためだとか、良い学校、良い会社に入るためだとか。
そんな理由は、二次的なものであって、最大の目的は、脳の活性化であり、努力をする練習であることと伝えたいと思います。

塾の講師や家庭教師をしていた頃は、とにかくそれを伝えていました。
よく生徒が言うのですよね。

「数学なんて、大人になったら必要ないやん。」
「計算できれば十分やん。」
「英語なんて、海外旅行せえへんかったら、意味ないやん。」
「海外旅行に行かへんから、英語なんて勉強したくない。」

こんなことは毎年のように言われたものです。

でも、それぞれの教科を勉強する意義を丁寧に説明してあげると、ある程度納得してくれるんですよね。

脳が最高の能力を発揮できるように訓練をする必要性を説明する訳です。

現在の高校の現状は、本当に学力差があるようです。
10年前の真中がなくなってきたと。
上か下か。そんなにも学力差が。

学校は、ほぼ上にあわせて教えているところが少なくないと聞きます。
私の母校は、そうだそうです。
嘆かわしいことです。

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2007.09.27(Thu)  妊娠 出産 育児COMMENT(0)TRACKBACK(0)TOP
論文でない研究成果に対する触れ方 下
それにしても、理系の研究論文に対して、私たち素人が厳密に評価など、まず無理なのですから、だから所謂一般・市販の図書で発表された見解に素人が、あれこれと口を出すしかないんですよね。
でも、その口の元は、多くが専門家の見解をコピーしているに過ぎません。

「こんな見解もあるんだよ」という指摘や意見の交換で、情報に対する理解が深まってくるのですから、様々な意見が交換されることは大変重要なことだと思います。

そういうことを考えると、主張主体者に対して「幅の広い情報でもって評価せよ」云々といった、いきなり無礼な指摘をするような方は、所詮人を批判することに終始するものだと私は感じております。
(この度のコメント欄に、その類のものが残念ながらありました。)

意見交換がヒートアップして、収拾がつかなくなることは、ありますが、いきなり感じの悪いコメントをされると、単なる嫌がらせとしか思えなくなるのも仕方がないと思います。
そう思われるのが当然であると思えないものか?と私は思います。

そういった過ちは、私も繰り返してしまいます、相手に不快を与えるようなことをすれば、その釈明とお詫びは必ずするように心掛けています。

様々な意見に触れながら、その情報を自分なりに咀嚼し、消化することで、自分なりの考えが頭の中で構成されるものです。
だからこそ、一つの主張だけでなく、様々な主張に触れ、それぞれの主張に対して、様々な方向から観察・熟考することが重要なのです。

それは、多元的な事象の見方や考え方ができるということですよね。
そこから多様性を許容できる、柔らかな感性や考えが養われるのではないかと思います。

無責任な主張で、他者を傷つけることを回避する努力はすべての人がすべきことは言うまでもないことです。
科学的に不確実でも、早期の対策をとることが、予防原則に基づくものであるのなら、早期に研究成果について評価することは大変重要なことです。

科学的な因果関係が完全に証明されていない状況においても、その危険性があると考えられるなら、その危険を回避するための努力をすることは、危機管理としては当然の所為です。その十分証明が為された時には、手遅れだなんて事態は、あってはならないとわたしは考えています。

だからこそ、リスクヘッジをしながら、多元的な物の見方をしていきたいと思います。
これ、ほぼ先日のエントリのコピーです。(^.^; オホホホ

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2007.09.26(Wed)  その他COMMENT(0)TRACKBACK(0)TOP
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